| 「盗一さんは酷い父親だったわ。」 何の変哲もない6月21日という1年のうちの、たった1日。 だがそのたった1日の特別な日に、家族ぐるみ――とは言っても、彼の父親は他界していたので、母親のみだが、――で一緒に夕食でもと誘われたのは、つい先日の事だ。 その6月21日という今日。誘われた通りの時刻に彼の自宅を訪ねると、出迎えてくれたのはその母親だけだった。聞けばふらりと出て行ってまだ帰ってきていないと言う。探しに、と告げようとした新一を優しく制し、「居場所は分かっているのよ」と笑った顔は彼の表情と酷似していた。そのまま促されるようにリビングに通され、珈琲を飲みながら他愛も無い世間話などをしている最中の台詞だった。 「…酷い父親、ですか?」 それは新一にとって思ってもみない言葉だった。何せ彼の父親への傾倒ぶりと来たら、通常の男子高校生にはない程であったし、それに耐える類まれなる才能を持った奇術師であったのだと知っている。それなのに、だ。 「ええ、そうよ。」 なのに、彼の母親はさも当たり前の事のように微笑んでそう言うのだ。 「ねぇ、新一君。今日、あの子が何処に行ってるか分かる?」 「え?」 「毎年必ず、あの子、あの人に逢いに行ってるのよ。」 ****** 周囲に生えた雑草を抜き、墓石を磨き上げた頃には、すっかり陽は傾いてしまっていた。 ようやっと腕時計で確認した時刻は、彼と約束をした時間から10分ほど過ぎてしまっている。やば、とは口に付いたが、言葉ほど快斗は焦りはしなかった。何せ約束の人とは外で待ち合わせをしている訳ではない。招いたのは快斗の自宅で、その自宅には快斗の母親が新一の訪問を待ちわびている筈だ。快斗を肴にして話に華を咲かせている事だろう。 だから快斗は時間を気にするのは止めにして、目の前の西洋風の墓石に再び対峙した。 白彩石で造られたそれは、父の大好きだった色をと母親が立てたものだ。父が没したのは、快斗が9歳の頃。いつも見上げてばかり居た父親が、こんなちっぽけな石の下に居るのだと、ちっぽけな骨だけの塊になってしまったのだと、当時はまるで信じる事が出来なかった。 快斗には、父親がなくなった前後の記憶が定かではない。わずか9歳だったから、という事よりも、その死のに対峙する精神力がなく自己防衛能力が働いた結果だろうと医者は言った。 「ついにもう俺も18歳だってさ。早いよなぁ。」 父という存在を失ってから、既に9年の月日が流れている。 もうすぐ父の身長に追いつくほどに成長して、だけど、精神がそれに比例しているのかどうかは別の話だと、快斗は人事のように嗤った。 ****** 「墓参り、ですか?」 「そう、今日は必ずね。私にも邪魔して欲しくないっていうのよ。我侭でしょう?」 それはそれでまた意外な台詞で、新一は目を丸くする。 新一が知る限りの彼は、女手ひとつで自分を育て上げてくれた母親を大層慈しんでいる。その母親を邪険にする方が不思議だ。 「新一君。あの子が天才的に魚がダメなの知ってるわよね?」 「え、はい。」 彼の母親と話す機会は、今までさほど多くなかった。やはり親の居ない家の方が気兼ねをしないという事で、彼は新一が一人暮らしをする洋館に訪れるのが殆どであったし、何より二人きりという状況は初めての事だ。 天文学的な数値の知能指数を持つ彼を育て上げた女性である。一筋縄でいく相手だと思っていた訳ではないが、探偵たる自分が彼女相手に話のペースを持っていかれている。それでも、あえて修正しようとは思わなかった。微笑む彼女に、母親としての彩が見えたからだ。 「もうあの子だって理由なんて覚えちゃいないんでしょうけどね。そうね、焼けた魚みたいだと思ったんでしょうね。高熱で真っ白になった眼球がゴロリと落ちて、そりゃぁ凄惨な姿だったのよ。」 「………。」 「魚の死んだような目って良く言うけれど、まさにそのものよ。嫌いになったってしょうがない事だと思うわ。」 淡々と話す口調は穏やかではあったが、内容はとても穏やかに聞いていられるようなものではなくて、新一は息を呑んだ。だが同時に、こうして自分に彼の秘密を明かす彼女の真意を悟り、唇を結ばずにはいられなかった。 ****** 父に会いに来るのは、6月21日だけと決めていた。そう母親と約束していた。 幼い頃、毎日のように墓に訪れてはそのまま寝入ってしまい夜中まで帰ってこないという事態が度重なり、母親が堪忍袋の尾を切らせたのだ。というより、夜中までフラフラしている子供を狙う輩も少なくない都会で、つまりはそういう目に遭いそうになった快斗に、母親が綺麗な顔をぐしゃぐしゃに潰して泣いたのが原因だった。父親が愛した母親が泣いている。それは快斗にとっては在ってはならない事態で、だからこそ母の取り決めに頷いた。それを18歳になった今も律儀に守り続けている。「だからって私も一緒に行かせないんだから、薄情だわ。」と告げる母親は横に置いておいて。 「親父、あれから1年だよ。」 1年前。それは、快斗が父親の隠匿し続けていたもうひとつの顔を知らされた日だった。東洋の魔術師という二つ名を戴いた父親が、死して尚遺した奇術。如何して17歳という年だったのかは、良く分からない。その頃には、父親のもうひとつの顔を受容出来る年齢に達しているだろうと判断したのか、それとも跡を継ぐ技量を兼ね備えているだろうと判断したのか。今はもう、知る事の出来ないものだ。死人にくちなし。まさにそれだ。 「1年だよ。」 何を思い父親がもうひとつの顔なぞを持つようになったのか。 それが知りたかった。死人にくちなし。だから、快斗は自分で探すしかなかったのだ。そしてそれを叶えるのは、父親を模倣する事のみで。 「……まだだ。まだだよ、親父。」 だけど、それは未だ辿り着けない。 真白に輝く墓石に触れる。只の冷たい石だ。此処に父親の魂などありはしない。だけど、恐らく遺された者の想いが集約するのだと、快斗はそう思った。 ****** 「盗一さんは海外の舞台の仕事も多かったから不在がちで、だからこそ家にいる時はあの子を猫かわいがりしてね。」 配偶者を焼き殺され、幼い子供をひとり遺された彼女は、一体どんな苦悩を抱えながら生きてきたのだろうか。愛するものを奪ったもうひとつの犯罪者という顔を、息子が引き継ぐ。それを一体どんな想いで見逃しているのか。 そんなものを推し量れる程、新一は大人ではなかったし、彼女の痛みは彼女だけのものだ。 淹れて貰った珈琲はすっかり冷め切って、新一の目の前にあった。 「酷い人よ。あの子に愛情ばかり与えたりするから、未だにあの子は盗一さんの影ばかり追い回してる。」 それでも、酷い人だと告げるその声音は愛しさに溢れていた。 ****** 喪ってしまったものほど、美化されていくのだと理解はしている。だけど快斗にとって、いつまでもどこまでも父親という存在は特別だった。 自分に名前をくれた人。自分に生きる意味を与えてくれた人。自分に惜しみ無い愛を注いでくれた人。そして、―――自分を永遠に置いて逝き、孤独の意味を教えてくれた人。 母親に厳しくも優しく育てられ、明るい幼馴染や、馬鹿話で盛り上がる級友たち。何より今、自宅で快斗の帰りを待ちわびているに違いない、彼。父親を亡くし、それでも生きてきた道程の中で、快斗にひとつまたひとつと増えてきた大切な存在がある。失いたくないと想う存在がある。 それなのに、まだ。 「………親父。」 それでもまだこの呪縛は解けない。 冷たい墓石に、快斗は祈るように唇を落とした。 ****** 結局、快斗が帰宅したのは約束の時間から1時間も過ぎてからだった。 それから無礼講と言わんばかりにシャンパン片手に、快斗の母親が作ったこれでもかという程の豪勢な食事を堪能して、今は二人快斗の自室で息をついていた。泊まって行きなさいと、客間ではなくて快斗の部屋に新一を通すあたり、かの母親はもしかせずとも気付いているのだろう。 「どうした?」 如何にも男子高校生の部屋、といった雰囲気の、シンプルな快斗の部屋は狭い。 快斗はベッドの上に寝転がり、新一はベッドを背凭れにするように床に座り込んでいた。夜更けも過ぎて、電気を落とした室内には、窓から注ぐ月明かり程度しかない。 黙りこんでいる新一を訝しんだ快斗が、寝転がったまま顔を覗き込んでくる。常と変わらない表情だった。 なのに、どうして、此れほどに近いのに、遠いと感じてしまうのか。 だから無防備な表情を崩してしまいたくて、新一は快斗を引き寄せて口付けを仕掛けた。ふっと触れ合った唇越しに快斗が驚いたのが伝わったが、直ぐに答えるように新一を抱き寄せた。新一もそのまま快斗のふわふわとした髪に手を差し込んで、快斗の頭を固定してしまう。深く、と強請るように開いた唇から、舌を差し込み、唾液を交換し合う。角度を変えると、どちらともなく鼻にかかった息が漏れた。 「……何?これ、プレゼントな訳?」 これでもかという程口付けを堪能してから離れた新一に、快斗が薄く笑う。行為に、濡れた唇が情を誘った。 「ばーろぉ。」 遠い、と感じるのはきっと間違いではない。快斗の心はこうして抱き合っている今も、新一の傍にはない。今日、この新一にとって365日のうち一番特別なこの日に限って、快斗は違う男のものになってしまっている。しかも新一に勝ち目はない。 「誕生日おめでとう、……快斗。」 「ああ。」 なのに、自分の言葉に嬉しそうに微笑む快斗が悔しくて、新一はもう一度噛み付くような口付けを施した。 |
「Sadistic*Violence」の晴海。さんより頂きました。
本当に、本当に有難うございます!!!!!!